こんにちは、福島県会津若松市に住んでいる七実(@dvanchangos)です。
2018年9月8~9日に『FNS27時間テレビ~にほん人は何を食べてきたのか~』(フジテレビ系)の『FNS対抗!メシの祭典』という企画を見ました。
食にまつわるご当地自慢として、福島テレビが持ち込んだテーマは「たこ焼きの発祥は福島!?」というもの。
粉モンは関西の誇りやで! @fns27htv_fns
たこ焼きの発祥は福島? 福島テレビが大阪に挑戦状叩きつける | しらべぇhttps://t.co/DhXo6neVWm @sirabee_news #27時間テレビ #たこ焼き #福島 pic.twitter.com/jiB7PBL1jS— ニュースサイトしらべぇ【公式】 (@sirabee_news) 2018年9月8日
「えっ?たこ焼きといえば大阪やろ?大阪発祥ちゃうんか?」とデタラメな関西弁が出るくらいビックリしました。
しかし、隣で一緒にテレビを見ていた会津出身の夫は、
「本当に、たこ焼きは会津発祥なんだよ!知らないの?」とドヤ顔。
わたし岩手出身だから知らないです…。
どうやら私の住む会津では誰もが知る事実のようです。今回は「会津とたこ焼き」の関係について夫から聞いたり調べたことをまとめてみました。
たこ焼きのルーツは”ラヂオ焼き”
たこ焼きの元祖は、ラヂオ焼きという食べ物でした。(当時高級品だったラジオから名前を取ったそう。)
1933(昭和8)年、福島県から大阪に出てきた遠藤留吉夫妻が「ラジオ焼」の屋台を始め、その後、醤油で味付けした牛肉を小さく切って入れて売り出したところ大人の客が増えてきた。1935(昭和10)年10月、その一人から「蛸を入れる」というヒントをもらって、肉の替わりに小さく切った蛸をいれ、醤油風味のだしで味付けした。1936(昭和11)年から、赤いのれんに白く「たこ焼」と染め抜いて売り出し、疎開するまで屋台でたこ焼を売った。
戦後、遠藤氏は大阪市天下茶屋(現在の西成区)に「会津屋」の店舗を開いて、いよいよ本格的に「たこ焼」を売るようになった。もともとのたこ焼は「醤油味」で、現在も「たこ焼きの元祖 本家会津屋」としてそれを主軸商品に据え、また2005(平成17)年には70年ぶりに「ラヂオ焼」を復活させた。球形の「ラジオ焼」に、1935(昭和10)年10月遠藤留吉氏が「蛸」を入れて「たこ焼」を完成させた、というのが定説となっているようです。
当時は、今のような大人から子供まで人気のあるファストフードではなく、「子供のおやつ」として普及していたようですね。それを大人もお酒のつまみとして楽しめるように改良したのが遠藤留吉さんです。
最初からタコありきの料理だと思っていましたが、最初は牛すじやこんにゃくなど様々な具材を入れていたそうです。それはそれで美味しそうな気もしますね。
「会津屋」と、遠藤留吉
なんと、大阪でたこ焼きを開発し普及させた先駆者は、「遠藤留吉」さんという福島出身の方だったんです。
そんな遠藤さんのふるさとは福島県の「会津坂下町」。私の住む会津若松市の隣町で、馬刺が有名な町です。そんな田舎町から大阪へ出てきて、どうやってたこ焼きを開発したのでしょう?
なんと、「明石焼き」からヒントを得たそうです!
遠藤さんは子どものおやつでしかなかったラジオ焼を改良し、なんとか大人の口にもあうものにしようと工夫を重ねました。
初めはコンニャクや豆・肉などをネタに加えてみましたが、いまひとつ評判は芳しくなかっか(原文のまま)のです。
そんなある日、明石から来たという客が、「大阪は肉かいな。明石はタコいれとるで」。この一言がヒントとなり、肉のかわりにタコをいれ、初めて「たこやき」と名付けました。また小麦粉を、醤油味のダシで溶くようになったのも、そもそも遠藤さんのアイデアで、かくして会津流のたこやきが誕生しました。
兵庫県明石市ではタコがよく捕れたので、明石焼きにはもともとタコが入っていたんですね。このアイデアをもとに、ラヂオ焼きにタコを足し算して出来たのが元祖たこ焼きです。
きっと、遠藤さんはタコ以外にもいろんな具を入れて試行錯誤したんだと思います。その中でも最終的にタコを選んだということは、よっぽど生地とタコの相性がよく、美味しく出来たんでしょうね。
創業から80周年を迎えたたこ焼き屋の「会津屋」さんでは、いまでも元祖のたこ焼きを食べることができます。現在はソースと青のりをかけた大玉のたこ焼きが主流ですが、元祖たこ焼きはソースや青のりをかけず、小ぶりでダシの効いた生地が特徴です。
福島出身の店主がたこ焼きを開発したということはわかりました。
でも、それだけじゃ、「たこ焼きの発祥は福島」とは言えないのでは…?
元祖たこ焼きの味は、ふるさとの味だった
たこ焼きのメインは「タコ」ですよね。しかし、元祖たこ焼きの美味しさのヒミツはむしろタコを包んでいる「生地」にあるんです。
前述したように、元祖たこ焼きはソース味ではなく、生地自体にダシの味がついています。小麦粉を醤油味のダシで溶くようになったのも遠藤留吉さんのアイデアです。
彼は熱心にたこ焼きの味を研究し、毎日毎日たこ焼きを食べていたそうです。
この生地の味の決め手となった「ダシの味」。
それは、会津の伝統的なふるさとの味で出来ているんです。
「こづゆ」を知っていますか?
こづゆとは、会津地方の郷土料理で、ホタテの貝柱を出汁に、サトイモ、ニンジン、しらたき、シイタケ、豆麸などの具を入れた汁物で、今でもお正月や冠婚葬祭の時に食べられています。
わたしは夫の実家でお正月にはじめて食べましたが、ホタテの出汁があっさりと上品で、具沢山で食べごたえもあり、とてもおいしかったです。
そう、遠藤留吉さんの作り出したたこ焼きの生地は、彼が生まれ育った会津の「こづゆ」の出汁をヒントにしたんです!
遠藤さんが大阪でお客さんに食べて欲しかったもの、
それは、生まれ育った故郷会津のなつかしい味だったんですね。
福島”発祥”には疑問の声も?
福島出身の遠藤留吉さんが、故郷の味をヒントにたこ焼きを開発したことを知りました。
とはいえ、
実際にたこ焼きを開発してお店をかまえたのは「大阪」なんですよね。
大阪のような労働者がたくさん集まってきた大都市だからこそ、大衆向けにたこ焼きを売り出すことに成功したとも言えます。
うーん、それって、「発祥は大阪」ってことになるんじゃないかと私は思いますね…。
もちろん、福島県人が大阪を代表するソウルフードをつくったということは、福島県人にとって誇るべきことですけどね。
福島県会津地方のたこ焼き事情は?
では、私の住んでいる会津のたこ焼き人気はどうでしょうか。
結論から言うと、
「発祥の地ってだけで、たいしてたこ焼き人気じゃない」
です。
たこ焼き屋さんが何軒もあるわけではないですし、大阪人みたいに一家に一台たこ焼き器があるわけでもないです。
「会津生まれの元祖たこ焼き」として特に売り出そうとしてるわけでもないですね…。
結局、会津発祥と言っても、元祖たこ焼きは大阪に行かないと食べられないっていう…笑
生真面目で表に出たがらない会津地方の人間性も関係しているのか、元祖たこ焼き発祥の地としてグイグイ売り出したり主張したりすることはないですね。
「たこ焼きの発祥は福島県」は、あくまで全国放送のテレビ用のネタとして出しただけです。
会津地方民はたこ焼きにそんなに思い入れはないようですが、こづゆはみんな大好きなので、それでいいかなと思いますね。
みなさんも会津地方にいらした際は元祖たこ焼きの味をつくった「こづゆ」を食べてみてくださいね!